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岐阜を発信する

政治や宗教の話題を営業マンは口にしてはいけないと言われます。
また、プロ野球の贔屓球団についても・・・。
それによれば、私のブログの内容は天に唾吐くものかもしれません。
営業マンが他人と相反する価値観を披露することで衝突が生まれることを避けるのも尤もでしょう。
私は経営者ですから、政治信条・思想・宗教などを明確にし自らの主張を発信します。
経営者こそ、大義のもとで敵を作ることを厭わず情報発信すべきと考えるからです。

岐阜では自嘲気味に『岐阜の人間は薄目空けて寝る』と言うことがありますが、これは自らが先頭になって意見を発信することがない土地柄だとの喩でしょう。
前の前の岐阜市長選挙。
選挙戦に深くかかわったことで、岐阜についての情報・意見を発信することの重要性を思い知りました。
余りにも岐阜の街には水面下で進行することが多い。『ある意図』をもった情報発信が多いと。
『ある意図』とは無関心の醸成です。

例を挙げれば、低い投票率を向上させるために、一定の予算をかけ投票を呼び掛ける活動はなされます。それだけです。
数値目標もなければ、市民の関心・危機感を駆り立てるような取り組みはありません。
また岐阜市・岐阜市民の未来にとって重要であるはずの岐阜市庁舎の建て替えについても同様。
岐阜市のホームページや広報でパブリックコメントを求めることはしますが、積極的なものではありません。
何にせよ第三者委員会からの答申をもって・・・と体裁を整えたりはしますが、一大論争とならぬような配慮ばかりです。
こんなことばかりです。
誰が悪いのかの答えは簡単です。岐阜市でいえば、岐阜市長です。

愛情の反対は憎しみでなく無関心だと言います。
岐阜の街を良くしようと思う人間が増えない限り、岐阜の街が良くなること、活性化することはありません。
疑問は関心の表れです。
関心があるから何にでも疑問を持ち、問い質すのではないでしょうか?
問い質す行為は、時に人を傷つけますし、問われる側は気分が良いものではないでしょう。
しかし大義の前では、それらは些事に過ぎません。
ぬるま湯だと思っていたら知らぬ間に沸点だった。少しずつ温度が上昇していたから気がつかなかった。
途中で、大声で指摘・非難している声を気に留めていなかったから・・・。

『天に唾吐く・・・』と言われようとも、愛する岐阜の街のために私は『岐阜』を発信する気持ちに変わりはありません。

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開化亭に行ってきました

京都の材木屋さんが岐阜に来られて、食事をすることになりました。
『開化亭』を希望されたので出かけてきたのです。

今や、日本どころか世界中の料理人に知れ渡った『開化亭』。
料理店の紹介番組ではない、NHKの『プロフェッショナル・仕事の流儀』に取り上げられ、オーナーシェフの古田さんの仕事人としての生きざま、料理へのこだわりが放映されたことで、料理界のみならず広く知られる名店となったことで、『開化亭』を目当てにした岐阜旅行を企てる人も見られるほどに。

『開化亭』、古田さんについては、紙媒体、テレビなどの旧メディアからネット上に至るまで多くの情報がありますから、ガイドブック的な話をするつもりはありません。
今回の訪問で考えさせられた点がいくつか・・・。

私と『開化亭』、古田さんの最初の接点は大学生の時。
京都から帰省して梅林に住む友人宅を訪問した時に「最近、近所にウマイ中華料理屋ができた。」と連れて行かれた店。
その当時には会話を交わすこともなく何度か訪れたのみでした。
十数年の星霜を経て、移転した『開化亭』を訪れその秀逸な料理に感嘆したのですが、その時点で『梅林の中華料理屋』との一致はありませんでした。(後に、会話の中で発見した次第です。)
当時は、一定の高い評価を受けながらも当時はネットなど情報伝達のスピードが現在ほど速くなかったので、関西の食通に読まれる『あまから手帖』なる雑誌が絶賛していたことが思い出されます。

弊社が施工の川原町泉屋・泉屋物産店の泉社長が主宰していた『岐阜伝統食品の会』なる団体の勝手連的オブザーバーとして取り組んだ折に『開化亭』、古田さんのセンスに感嘆したものでした。
川原町泉屋の『鮎ラーメン』の上湯スープは古田さんの監修によるものです。

創作中華、ヌーベルシノワーズなどと分類される『開化亭』の料理ですが、それらの言葉に集約できない哲学があると思うのです。
『開化亭』もどきの料理を供する店が表れても『開化亭』の領域を侵す店はないと、今回の訪問で確認しました。
雑然と静謐の同居が『開化亭』の哲学だと。
コース料理をオーダーする客からラーメンを食べる客までが同居することと、高級食材を大胆な調理方法で中華の皿に仕上げる姿に表れています。
還暦を前に、東京銀座に出店される準備のことで古田さんは不在で、店の厨房を仕切っておられたのは息子さん。
変わらぬ料理が受け継がれているのは哲学が存在するからでしょう。
いつまでも挑戦し続ける姿勢が、哲学が継承される源でもあるのだと。
それを実感したのが、来店時間が遅く最後の客となったのですが、以前も最後の客となり店を出た時と同じようにキレイに清掃された厨房の中の光景があったからです。

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名鉄犬山線に乗って

各務原の名鉄『六軒』駅の近くの居酒屋で会食の機会があったので名鉄犬山線に乗って出かけてきました。
名鉄犬山線には思い出があります。
高校二年の秋に野球部を休部させられた時のことです。
暴力事件や万引きという勇ましい(?)ことが理由ではありません。成績不良が理由でした。
トータルの点数や学年順位が足きりラインでなく、100点満点で30点以下の科目が3教科以上あったらアウトだったような記憶があります。
また数学の指定参考書のチャート式の単元テストも関連付けられていたようにも覚えています。
とにかく、科目ごとの出来不出来が激しい私には不利な制度だったと。

それまでの毎日、野球部の練習があるのが当たり前の高校生活だったので、放課後の時間が空いたところで時間を持て余してしまったのが実情でした。
野球部の顧問は、休部させれば勉強すると思ったのでしょうが・・・。
また野球部以外の友人も殆んどいなかったので、一人で過ごす時間にあてもなく、よく非行に走らなかったものです。
ある土曜日、思いついて名鉄犬山線に乗り込みました。
新岐阜発犬山行きで犬山まで、そこで乗り換え名古屋まで行き、名古屋から岐阜まで途中下車することもなく周回して来たのです。そしてもう一度、犬山線に乗って一駅先の田神まで行き電車を降りて、歩いて新岐阜に戻ったのでした。
キップは、新岐阜から田神。(もう時効でしょう)

自転車や自動車で移動している間、思索にふけることは難しい。
当てもなく景色を眺めているだけで車窓の風景が心を静めてくれたように思います。
当時、成績不良の烙印を押され休部させられたことを理不尽に思っていましたが、成績不良の線引き、休部の制度を決めるのは自分でなく指導者・顧問の側であり、自らの主張に根拠がないものだと悟るに至ったように・・・。
「仕方がない。」と。

先日の各務原での飲み会の後。今は『新岐阜』でなく『名鉄岐阜』という名の駅まで名鉄犬山線で帰ってきました。
終バスに間に合う時間だったのでバス停に向かうと、バス停を兼ねた神田町の道路には送迎の自家用車が何台か停まっています。
バスがクラクションを鳴らしながらバス停に横付けしようと入ってくると、驚いて発車する車もあれば居座り続ける車も。
乗降客も交通量自体も少なく、結局のところたいした混乱もないのですが、考えてみれば理不尽な話です。

ターミナル駅にもかかわらず自家用車のためのロータリーがないので、自家用車がバス停のある道路に鈴なりとなるのは自明のこと。
クラクションを鳴らすバスも、親会社は名鉄。
会社の上層部に自家用車用のロータリーを設置することを訴えるためにクラクションを鳴らすならばいざ知らず、自家用車を排除するためのクラクションに道理はありません。

名鉄犬山線に乗って少年の心は鎮められましたが、ヒネタ大人の心は・・・。

JR岐阜駅にて

先日JR岐阜駅に出かける機会があり、駅西駐車場から駅に向かって歩いていくと、左側の壁に『岐阜空襲』なる文字と焼け野原になった岐阜の街のパノラマ写真が目に飛び込んできました。
急いでいたのですが、立ち止まって見てしまったのです。

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高齢者の人たちから聞かされる過去の岐阜の話の中でも、岐阜空襲の話は悲惨です。
ひと晩で岐阜の街が見渡す限りの焼け野原になってしまったこととと、おびただしい死体の数について。

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展示されているパノラマ写真は岐阜空襲直後でなく、終戦後のものです。
すでにローマ字表記の看板があることが解説にあります。
米兵相手の商売だからでなく、新しい時代の風潮としてローマ字が使われていたことから終戦後の岐阜の人々の生活には進取の気性と明るい希望が存在したのだと思われます。

この掲示から、岐阜空襲の爆撃の中心が、金神社の北側の徹明通りと凱旋道路の交差点であったことをしりました。
私の記憶では、この交差点のところに傷痍軍人が空き缶とともに座っていた記憶があるのですが・・・。
場所については確かではありませんが、兵隊さんが路上にいる姿を覚えています。
もし、私の記憶通り、この交差点が正しいのならば深い意味があったのだと今さらながら思います。

岐阜の街の過去、昔を語る人が少なくなった今、このような展示には意味があります。
私は、岐阜の南北の通りを『長良橋通り』、『金華橋通り』、『忠節橋通り』と表記・呼称することに反対です。
街の歴史、文化を踏みにじる行為だとすら考えます。
地名を記号として扱うことは、愛着が無いからできる行為です。

現在の『金華橋通り』が以前は『平和通り』と呼ばれていました。それ以前は『凱旋道路』と。
街の歴史を考えることを停止させないためにも、郷土の歴史の意味を考えたいと思います。

柳ケ瀬

昨日、柳ヶ瀬の話題に触れたので今日も懲りもせず別の視点から柳ケ瀬について。

柳ヶ瀬は岐阜の人間にとってノスタルジーをかきたてる特別な場所です。
今、柳ケ瀬の一部では既存のアーケードの架け替えや撤去が進んでいます。
アーケードが取り外されとところには明るい陽射しが降り注ぐ商店街となっていますが、往年のような人出はありません。柳ケ瀬に限ったことでなく、アーケードを撤去する商店街が全国的に進んでいるようです。
また中小市街地の商店街の再生には、自治体が支援に本腰をいれて乗り出すのも全国的なことと。

郊外に集客力がある巨大なショッピングモールができて、そちらに客がとられ中心市街地の商店街が衰退したと言われます。
買い物に限らず消費者の指向は多様化しているのですから、人が集まるところが分散するのも当然です。

消費者の動向や商店街がニーズに合わせて変容できなかったことに問題があるのでなく、実は日本社会の変容を映し出しているのだと考えます。
商店街という『仕組み』の問題ばかりに焦点が当てられますが、中小市街地の商店街が衰退した理由の一つには、『人』の問題があると。
商店街とは小規模な商店の集合体であり、商店は経営者に依存した属人性の高いビジネスです。
衰退ビジネス、斜陽産業では、経営者本人の問題から後継者問題に至るまで、『人』の問題こそ解決が困難なように思われます。

中小市街地の商店街の再生は、商店街のみに手を入れることで解決することなく、街全体の活力を高めることが商店街へ波及するのだと考えます。
柳ヶ瀬だけが再生することなく、岐阜が良くなれば柳ヶ瀬再生も付いて来るというものです。
買い物、飲食、歓楽などの機能を中小市街地の商店街一つで持とうとする柳ケ瀬商店街を再生させるには、来訪者の母数を無理やりにでも引き上げる策を打ち出せば、自然と再興はついてくると。
起爆剤となる策があるとするなら、柳ケ瀬の中に市役所を持ってくることです。
無茶な意見とは承知しています。
しかし、毎日多くの人を集める施設と言えば『市役所』しかないでしょう。

プロフィール

jdforest

Author:jdforest
本庄工業株式会社
代表取締役 中川稔之

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