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日下部先生

8月18日付けの岐阜新聞県内版に懐かしい顔を見つけました。私が高校2年生の時に担任だった日下部光穂先生です。数学にいたっては3年間教わりました。しかし数学の授業でのイメージがあまりないのです。

高校時代、私は全くといっていいほど勉強をしませんでした。ほとんどの科目が赤点。当時は『野球部』だということで許されたのです。(と、思っているのは自分だけか?)特に数学はチンプンカンプン。高校に入学して間もなく(確か6月)盲腸にかかり、入院手術、自宅療養を経て学校に復帰したのが『チャート・テスト』(チャート式数学という指定参考書の進行に合わせたテスト)の日でした。本当に何も分からない。学校を休んでいた10日ほどの間に新しい単元に進んでいたのでした。見たこともない知らない数式だらけのテストに手も足も出ない白紙答案を初めて経験しました。同時にそれ以降、白紙答案を恐れることも無くなってしまったのです。

2年生に進級すると、担任は数学の日下部先生。
ホームルームの時や個人的に話したことばかりが印象に残っています。
唯一、数学の授業中の言葉で覚えているのは「数列は今まで数学が苦手だった人でも真面目にやればできるようになる。」という言葉です。バカ正直な私は、数学ではなく数列だけを真面目に勉強しました。その意味において日下部先生は私にとって『数列の先生』でした。
京都大学理学部を出て数学の教員をしているのはなぜかという問いに、職業観・人生観を丁寧に語ってもらったことは覚えていますが、不真面目な学生だった私は内容を覚えていません。ただ、清水焼の陶芸の道に進んだ友人のエピソードを交えて真面目だけどユーモラスに語ってもらった雰囲気の印象が良かったことだけを記憶しています。
日下部先生が故郷の山の話をしてくれたことを覚えています。高校を卒業し故郷を離れるときに列車の中の自分を故郷の山々が見送ってくれる。帰ってくると故郷の山々が迎えてくる。だったような・・・。
そのせいか中津川方面に行くと山々を見上げてしまいます。
春は恵那山が美しい。夏は笠置山。秋冬は遠くの山々。
一番好きなのは春の恵那山。

新聞記事によると、私たちが卒業してしばらく後に故郷・中津川の母校・中津高校に移り、昨年退職するまで22年間勤務したと。その間長く演劇部を指導し数々のコンクールで優秀な成績を収めたと。退職記念として創作脚本集を発刊し教え子たちが集まり記念パーティーが開かれたと・・・。

日下部先生は中津川の山になったのですね。




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