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梅田高志がやってくる 1

現役Jリーガーで『岐阜のサッカー』に最も縁が深いのは梅田高志でしょう。縁が深いと言うよりも『岐阜のサッカー』に翻弄されたと言うべきかもしれません。
その梅田高志が大分トリニータの一員として、23日に来岐して長良川メドウでFC岐阜と戦います。

今でこそJリーグチーム・FC岐阜が存在しますが、『岐阜のサッカー』史上に高校生よりも上のカテゴリーのチームが不在だった期間があります。
Jリーグ創成期にはJリーグの一つ下のカテゴリー『JFL(日本リーグ)』に西濃運輸サッカー部が所属していました。1997年に西濃運輸サッカー部が廃部となったことで、『岐阜のサッカー』に空白の期間が生じたのです。当時の選手・監督・スタッフは、サッカーを諦める者も続ける者もいましたが散り散りになりました。
2001年に岐阜県サッカー協会と西濃運輸サッカー部関係者が中心となって、将来のJリーグ入会を目標にFC岐阜は発足されたのです。

梅田高志は岐阜県各務原市出身のJリーガーです。各務原・緑陽中学で頭角を現し岐阜工業高校に進み、卒業後は西濃運輸サッカー部で活躍をし、西濃運輸サッカー部が廃部に伴い、当時JFLの大分トリニティ(現・トリニータ)に移籍しました。チームのカテゴリーが昇格するたびに、出場数を増やすという珍しいタイプの選手です。プレーはアグレッシブですが派手さはなく、所属チームも地方の地味なチームだから広くは知られていませんが、共にプレーをした選手(日本代表クラスも)が『良いプレーヤーだ。』と、口をそろえて言います。

その梅田高志は2008年シーズン一年だけFC岐阜でプレーをしました。

FC岐阜がJリーグで戦うようになったのは、2008年シーズンからです。
そのシーズン開幕前に『であいドーム』で開催されたファン感謝デーの時のことです。

初代FC岐阜の監督で、西濃運輸サッカー部最後の監督だった勝野さんを会場に見つけ、
「梅田高志が帰ってきましたね。」と話しかけると、
勝野さんは珍しく饒舌に語り続けました。

「ウメ(梅田高志)は靴ひとつで西濃運輸に来たんですよ。笠工(岐阜工業高校)の時にプレイを見て、良い選手だと思い、こちらから勧誘に行ったんです。足のサイズを調べて、家を訪問した時にサッカーシューズを手土産に持っていきました。他のチームからの勧誘もあったようですが、靴まで持って行ったのはウチだけだったから…。
アイツの仲人もしました。なのに…。
チームにもなじみ、試合に出られるようになり、結婚したばかりの時に会社がサッカー部を廃部と決め、チームが無くなり、岐阜を離れて大分に行くことになったんです。
やっと帰って来れたんですよ、アイツは…。」

おしゃべりな僕が黙って勝野さんの話を聞いていただけでなく、その後もしばらく黙ったままだったのは、何か話すと涙がこぼれそうだったからです。

『勝野さん、ウメは大分で岐阜への移籍を5回直訴をして、最後は社長にまで直談判して岐阜にやって来たそうですよ。』と心の中で呟きました。

2008年シーズン、彼はFC岐阜の主力として活躍しました。


しかし、それほどの思いで岐阜に来たのに一年の契約を終えて彼は大分に戻りました。
梅田高志にとっての、FC岐阜での一年間は如何なるものだったのか?
FC岐阜を一年で離れて大分に戻ったわけですが、その後の大分トリニータの凋落振りを見るにつけ胸が痛みます。



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