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ソウルフードが帰ってきた

高校に入学して野球部の練習に明け暮れていた夏休みのある日。
練習中に野球部の友人から『練習終わったら、ホワイト餃子、食べに行こっけ。』と誘われました。
『ホワイト餃子って何や?』と尋ねると、『知らんのか。なら絶対行かないかん』と。
その日が初めてでした。

餃子のみを扱う、その店は昭和町にあり、学生を中心に若い客で賑わっていました。
中心市街地の中学(主に本荘、明郷、梅林中学)を卒業した同級生のほとんどが、その餃子の存在を知っているようで、名門・境川中学とはいえ岐阜市では雛の中学に分類される中学を卒業した私は、少し都会っ子になったような気がしたものです。

肉厚でもちもちの皮に包まれた餃子は、調理手法によって揚げ餃子に近い食感があり、ボリューム感とラードの香りが、青春の食欲をどれほど満足させたことか。
高校時代はもちろん、卒業した後も、幾度となく足を運びました。
京都の大学に進み岐阜を離れたのちも店を訪れましたが、段々と頻度は少なくなっていきました。

それでも友人同士の会話には、「変則6差路に面した店舗に事故の車が飛び込み、最近休業しているらしい。」とか話題が出る、我々世代の岐阜の青春の胃袋を満たした店に間違いありません。
御兄弟で営まれていたようですが、時代を経て現在はひっそりと持ち帰り専門店に業態を変えました。
時々、家で調理して食べてみますが、それは『あのホワイト餃子』とは似て非なるものです。

ところが、『あのホワイト餃子』のコンセプトを再現させるべく旗を揚げる店が開店したと聞いて、早速出かけてきました。
品書きに書かれた店主の思いに、青春が甦ってきました。

026.png

『あのホワイト餃子』とは、なんだったのだろう。
岐阜の街に活気があふれていた昭和の終わり。
高校生の私から見た岐阜の大人はエネルギッシュで魅力的でした。いつかは自分も輝く岐阜の大人になるのだとの思いは、『ホワイト餃子』を頬張りながら形成されたのでしょう。
正しく、ソウルフードです。

041.png

岐阜の街で輝くために、『ホワイト餃子』を腹いっぱい食べてやるぞと、餃子10個のランチセットに更に
10個追加して、高校生の頃のよう『ホワイト餃子』を20個食べたのですが、翌朝まで胃もたれが・・・。
歳はとりたくないものです。
気持ちは29歳ですが・・・。

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