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南海の巨人

30年近く前のことです。
大学生の夏休みとなれば、大阪の予備校時代で知り合った友人の、足摺岬の近くにある漁村の実家に逗留した思い出があります。

初めて訪問した時には、その遠さに驚きました。
私は下宿先の京都から買ったばかりの中古車でフェリーに乗り込み四国に上陸すると、東京の大学に進んだ彼と松山で落ち合い、足摺岬に近い高知県境の漁村に向かったのでした。
当時は高速道路などなかったので、松山から宇和島まで国道で3時間以上かかった後、リアス式海岸の海岸線をたどるように車を進めた記憶があります。
宇和島までの生活感のある風景から一転、しばらくは風光明媚な景色の連続を楽しんでいたのですが、いくら風光明媚とは言え1時間以上も同じような景色が続くと飽きてきます。

同じ風景が現れては変わる。
その連続に耐えられなくなった頃、助手席に座る友人が偉大に思えてきたのです。

「お前、こんな遠い田舎から都会によく出てきたなあ~。それだけで尊敬するわ。」
と言う私の言葉に彼は、
「じゃあ、もっと尊敬しろ。ウチの家は、もっともっと何にもない田舎やから。」と。
やがて彼に指示されて国道から半島の山道のような道路を2、30分進んでいき、視界が開けたところで海岸の方に降りていくと、絵にかいたような小さな漁村が現れました。

金曜日の夜、彼の父の訃報を受けとり、南海の漁村を訪ねてきたのですが、途中まで高速道路が整備されたといっても相変わらず本当に遠かった。
岐阜から松山空港までにかかる時間よりも、そこからの時間の方が長いのですから。

松山から車を走らせる道中、過去の記憶をたどっていると、あれやこれやと逸話が甦ってきました。
30年前の竜宮城のような時間と空間。
野球や相撲の話、裸一貫で商売を興した頃の話・・・。
目の前には海だけが広がる漁村で、養殖業を営む明るく豪快な彼の父の個性に魅せられました。
それまで出会ったことがない豪放磊落で、オープンマインドな人でした。
子供の友人である私たちの中に自然と入り込み、一緒に酒を飲み、歌を歌い、夢や人生を語る・・・。
またそこに偶然、商談で訪れた人たちも巻き込み、宴が始まる・・・。
老若男女、学生からビジネスマン、漁師・・・の笑いの輪が。
思い出は尽きません。

過疎の漁村に多くの人が集まり、海の男の涙声に送られた葬儀に人柄が偲ばれました。
人生一期一会。


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代表取締役 中川稔之

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