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いつか会って話してみたいと思っていました。
カリスマバイヤーで参議院議員の藤巻幸大氏。
京都の大学を卒業の後、東京の会社に就職して東京で暮らすことになりました。
今から25年前のことです。四半世紀前と言えば、かなり昔のようにも思えますが、昨日のことのように覚えていることがあります。
地下鉄丸の内線で新宿から一駅の中野坂上が最寄り駅だったこともあり、買い物は専ら新宿。
東京ならではのデパート、丸井と伊勢丹の、それまで知っていたデパートには無いスタイルに驚いたものでした。
丸井は割賦払いの決済のシステム。
その決済方法から、若者でも高額商品を入手することを可能にしていました。
高級ブランド品を買い物することは、品物だけでなくショップの設えやサービス、そして客側の支払いまで含めた価値観を創造することだと認識していましたが、見事なまでに私の考えは粉砕されました。
厳密に言えば、丸井が扱う高級ブランドは『歴史ある本物の高級ブランド』ではなかったのですが。
そして、伊勢丹。
それまでの生活の場であった岐阜・名古屋、大阪・京都には見られなかったスタイルのデパート。
高級でありながらゴージャスさの嫌味もなく、設えから品ぞろえに至るトータルにプロデュースされた雰囲気、何もかもが洗練されていました。
東京のアッパーな生活を享受できる層が厚く存在することを感じたモノでした。
伊勢丹の近くにあった西武セゾングループの手掛けるブティック・セレクトショップ『マルセル』。
この店で服を購入するうちに店員と親しくなり、伊勢丹についての逸話を仕入れたところによると、伊勢丹には何人かのカリスマバイヤーがいて、品ぞろえから店舗内の内装、雰囲気に至る範囲にとどまらず、戦略的なことにまで意見を注進できるのだと。
後に、伊勢丹がバーニーズ・ニューヨークなるファッション専門店を立ち上げた時くらいから、カリスマバイヤー・藤巻幸大氏はマスコミに登場するようになったように思います。
言っちゃ悪いが、たかが仕入れ担当。
それが経営戦略にまで関わる存在になるのは大したものです。
彼に注目するようになり、いつか会って話してみたいと思うに至ったのです。
数年後、伊勢丹を退職してアパレル会社を興すことがニュースとなるほどの注目を彼は集めました。
デザイナーでなくバイヤーがアパレル会社を興すことは珍しいことでしたし・・・。
しばらくすると経営再建中の福助に請われ、代表取締役として福助再建に奮闘。
やがて福助は持ちなおし、大いに彼の評価は高まりました。
モルガンスタンレー日本支社長を務めた実兄と『フジマキに聞け!』なるコラムを日経新聞に持つ、多方面での活躍ぶり。
やがて政界進出。
みんなの党から結いの党に移り、道半ばにして逝去は残念です。
一芸を極めた者は、違う分野に移っても一定の成果を残すものです。
仕入れ担当のバイヤーから経営者に、そして政界へ転身した彼の姿を注目していました。
いつか会って話してみたいものだと思いながら。
「いつか、いつかと思うなら、今。」
機会を逸することなく、動き出さないと。
また彼のように生き急ぐくらいのスピード感がないことには成果を上げられないと。