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大学で学んだこと

『未来を信じ未来に生きる』
この言葉くらいです。立命館大学で学んだことは・・・。
後は、他の大学でもどこでも学べるようなことしかありません。
私の大学生活が、それくらいプアなモノであったことの証かもしれませんが。

私が入学した当時の立命館大学法学部には、3・4回生のゼミの予行練習的なカリキュラムとして、1・2回生時にはプロゼミなるものがありました。
法学に興味もなく入学した私には苦痛で仕方がなかった記憶があります。
必須科目ですから出席はもちろん、しっかりと勉強しなければいけなかったのです。
遊びやクラブ活動など、大抵のことは自身が集団の主導権を持つことが多いのですが、興味のないことですか珍しくも『ついて回り』として存在感を消すことに腐心していた記憶があります。
ゼミの担当教授のように、プロゼミにも担当教授がいたのですが、その担当教授のおかげで救われた記憶があります。
人が良いとか、面倒見が良いというのではありません。
『立命館原理主義者』または『末川博原理主義者』のような人で、法学には興味がありませんでしたが彼には興味を持ちました。

冒頭の『未来を信じ未来に生きる』なる言葉を知ったのも彼からです。
その後、私の前年に入学していた高校時代の同級生とキャンパスを歩いている時に石碑を指さしながら
「『未来を信じ未来に生きる』は重要なキーワードやから覚えておけ。」と言われたことで、私の中に刷り込まれたのです。

その高校時代の同級生で大学では先輩となった友人は、その後の私の大学生活に大きな影響を与えました。もちろん負の影響ですが。
履修科目登録時には彼の助言に従って登録したのです。
すると、私の履修科目を知っている彼が時おり私の授業の教室の前で待っていて、人数が足らないからと遊びに誘うようになったのです。人数が必要な遊び、定員4人のゲームです。
当時は携帯電話がないのは当然、下宿先に専用電話もなく共用電話や呼び出し電話で連絡を取るありさまでしたから、他人のスケジュールを把握して教室で捕まえるとか、下宿先まで押し掛けることまでしないと生けなかったのです。

授業が間もなく始まる教室で誘われた時に
「授業があるから」と一旦は固辞したものの
「俺たちよりも長く大学生活が残されているから、勉強なんていつでもできる。」、「川谷拓三が出入りしていた飯屋を案内するから・・・。」の口車にオッチョコチョイの私が付いて行ったところから大学生活の転落は始まったとも。

連れて行かれたのは、嵐山電鉄竜安寺道駅の近くの雀荘。
川谷拓三が出入りしていた飯屋とは、雀荘に出前を届ける食堂。
思い描いていたものとは違いながらも、興味のない法学の教室よりも居心地が良いところを選ぶのは当然です。

出席のチェックが厳しい授業もあり、授業を優先しようとする私に彼が言ったのが
「『未来を信じ未来に生きる』の意味、考えてみてみ。学問は、出席やら単位やらに汲々とするような、細かいミミッチイことじゃないということなんやから・・・。」と。
「それもそうやな。」と妙に納得をして、彼らとの付き合いを優先した大学生活をしばらく続けました。

ですから私の大学生活は、末川博の薫陶を受けたものであると言ったら怒られるかもしれませんが、そんな感じです。
『未来を信じ未来に生きる』
学問の目的のすべてが込められた言葉だと思います。

何のために学ぶのか?何のために働くのか?
自問自答する習慣だけが見に着きました。

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