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『学校の謝罪』から考えたこと

しばらく前に明治大学のサークルが集団泥酔・昏睡事件を起こした件で、大学側が謝罪記者会見をしたと聞いて呆れたのものです。
また、長崎の高校生の同級生殺人について、学校へ取材に押し掛ける報道陣の様子に違和感を覚えました。
長崎の件では、高校が開いた保護者説明会で『学校はちゃんと教育しろ!』と発言する親の声が流された場面では、世も末だと。

今日、学校はターゲットです。学校は逃げないと・・・。
個人主義の国・フランスではゼッタイに起こりえない社会現象です。

今回のようなケースで学校を非難・批判することは、学校が生徒・学生の個人的な生活にまで関与することを認めるものです。
個人的な生活、プライベートな時間では個人的なパーソナリティなどが司るところが大きいものであり、個人的なパーソナリティは幼少期からの家庭環境や家庭教育の影響が大きく、学校が非難・批判される理由はありません。
法的責任が学校側にないのはもちろんですが、道義上の責任の意味を拡大、歪曲な解釈がなされているのではないでしょうか?

ついでに言うと、この状況を作り出したマスコミの罪は重い。
学校は取材し易いが、犯罪者周辺に突撃するリスクを恐れぬ勇気がないのです。
集団主義の国・日本ならではの現状が生まれています。
法的に『犯罪の原因』がない学校にも、道義的責任はあると考える国民性が日本には蔓延しつつあるようです。
こんな状況がするのは、世界中でも日本くらいでしょう。
これは最早、国民の幼稚化、痴呆化のなれの果てだと考えます。


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