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魚をめぐる地政学

大学に入学後、少しの間だけ所属した軟式野球部。
同じリーグの他校に『鯨』なる苗字の硬式崩れの素晴らしい投手がいました。
出身校は和歌山県南部の公立高校で、高校時代はプロからも注目されたとのこと。
和歌山には『鯨』という姓が存在するのだと理解した次第です。

岐阜のスーパーマーケットの鮮魚売り場では夏になると当たり前のように『鮎』が売られています。
市場でも岐阜では『鮎』のカテゴリーがあるものの、他の都市の市場では鮎は『雑魚』に分類されるそうです。
最近のスーパーマーケットは、物流が発達したこともあり全国どこでも同じような食材が並べられ手に入ります。
それでも岐阜の『鮎』のように、京都では鱧が、大阪では鯨がスーパーで大きな顔をして並べられているのは、土地柄なのでしょう。

そこで『鯨』です。
欧米諸国の、捕鯨についての日本バッシングに屈してはいけないと考えます。
かつては大捕鯨国であった米国、豪州などの、鯨やイルカを愛護する観点からの反捕鯨論ほど差別意識の権化であるものはありません。
鯨やイルカが可愛らしいとか、高等な動物であるとか、人間と同じ哺乳類であるとかを理由にすることは、自らの殺戮の歴史を顧みず、よく言えたものだと言葉を返したい。
米国や豪州では、白人によるインディアン狩り、アボリジニ狩りが行われたのですから。
鯨やイルカを捕らえて食べることを、人間と同じ哺乳類であること、高等な動物であることに根拠を求めるのは、優性論を認めることです。
論理的でない動物愛護を持ち出して反捕鯨を推し進めるならば、過去の歴史が掘り出されると言うものです。

我々日本人は古来より鯨やイルカを食してきました。
宗教的にも、慰霊などの儀式をもちながら、大切な生命、資源として利用してきた歴史があります。
給食メニューにも『鯨の竜田揚げ』が見られるほど、馴染みのある食材です。
『鯨』は大量生産・消費の食材として成立しにくいので、全国的にはスーパーマーケットから消えてしまいましたが、歴史的背景のある土地では鮮魚売り場に並べられています。

しかし私は、『鯨』が切り捨てられるような気がします。
今日、『鯨』を日常的な食材とするのは、大阪と和歌山をはじめとする関西と捕鯨基地があった石巻のある宮城県、東北の一部です。
東京、首都圏の人間には馴染みがありませんし、全国的にも消費は少ないからです。

この『鯨』文化を守ることは日本人の文化アイデンテティに関わる問題だと考えます。
また地政学的に、東北と関西は、お互いに反目しあうような地域性があります。
ところが、東京を軸に考えた時に連携を図ることにメリットがあると考えます。
東北は、東京・首都圏に物資・労働力を搾取され続けた歴史がありますし、大阪はじめとする関西は、明治維新以来冷や飯を食わされています。その例がリニアです。
今のところ名古屋どまりですから。

そこで『鯨』で連携と言うのです。
ウナギは日本の食文化であるが『鯨』は違うと言わせてはいけないと、一点突破で連携することに意味があります。
ウナギの方が圧倒的に消費量が多いのは、スーパーマーケットなどの大量生産消費のコンテンツとなったからにすぎず、歴史・文化の面では圧倒的に『鯨』に軍配が上がります。

異文化を許容する寛容性が欠けるのは、アングロサクソンと東京原理主義者の共通項だとは言い過ぎですかね。


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