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輝け、岐阜!

高校までを岐阜で育ち、そして予備校、大学時代はは大阪、京都の関西で過ごし、学卒で入社したのは東京の会社。家業の関連業種に転職した先は名古屋の建設会社。
30歳になって岐阜に戻り15年近くが経ちました。

山があって、川がある岐阜の街の魅力に気がついたのは、岐阜に戻った30歳過ぎてのことです。
では何故岐阜に戻ろうと思ったのだろう。
岐阜がオモシロイところだと信じていたからです。
どうしてオモシロイと信じるようになったのか?

いざ岐阜に帰ってみれば、駅前・柳ヶ瀬は衰退し人通りも少なくシャッターが降りたままの店舗も存在する。それなのに岐阜はオモシロイところ・魅力的な街だと信じていました。
子供の頃、思春期の記憶がそうさせたのでしょう。

実家は岐阜市でも郊外のエリア。子供の頃、普段は中心市街地に出かけることはありませんでした。祖母に連れられ(商売に忙しい両親でなく祖母に面倒を見てもらうことが多かったのです。)丸物、山勝のデパートや柳ヶ瀬に出かけるとワクワクしたものです。中学卒業後、入学した高校は中心市街地の近く。学校の行き帰りに回り道をして柳ヶ瀬を通るのが好きでした。柳ヶ瀬の賑わい・猥雑さ・悪い深さ・・・。
また問屋町界隈は人モノの往来が激しく、いつも忙しそうで・・・。仕事・商売には野心・成功欲があふれているようで・・・。

街の人は、みんな生き生き・ギラギラしていた。
岐阜の大人に憧れていたのです。
いつか自分も岐阜の大人になりたいと思っていたから、岐阜に戻ってきたのでしょう。
当時は『山があって、川がある』なんて意識しませんでしたから。

高校生の私が憧れた岐阜の大人は30代から50代です。現在の岐阜で、その世代は輝いているだろうか。
私は該当する世代の真っ只中。私は郷土の先輩世代に憧れというモチベーションをもらったことを感謝しています。そして次は(今は)自分たちの番だと考えます。
たとえ痩せ我慢でも自分たちが明るくニコヤカに輝いていないと、若い世代が一旦都会に出ると、そのまま帰って来なくなるのではないか・・・。

岐阜に輝きを!輝け、岐阜!がライフワークです。



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本庄工業株式会社
代表取締役 中川稔之

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