スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

唯物論で木材を語ると・・・。

唯物論で木材を語ると味気ない話になってしまいますが・・・。

今から10年近く前に木材業界の機関紙に掲載された記事を見たときに閃きました。
「この業界は『唯物論』を理解しようとしない人の割合が相当高い。」と。
その記事は一般の方を山に案内し森林の現状、伐採実演をするイベントの記事でした。伐採実演の説明文に引っかかるところがあったのです。
木が倒れていく時の表現に『(前略)・・・よろめく様にユラユラとしていた大木がギィーッと断末魔の悲鳴を上げ倒れていきました。ひとつの生命を終える叫び声でした。・・・(後略)』なる文章があったのです。
例えば、木材を製材機で四角く切る時。時としてギューッと音を立てて抵抗が強くなるときがあります。これを木が痛くて嫌がっていると表現するに近いものです。
木は木であり、人間や動物ではない。
木は植物です。
一般の方が、ある程度の擬人法的表現で誇張することは許容できます。しかし、仮にも木材業界に身を置く人間が用いてはいけない表現があると考えるのです。
心優しげな表現は時としてオカルトと紙一重です。

我々木材業界の人間は『木』を客観的に扱う立場にあります。
スピリチュアルな付加価値を語るのでなく、科学的論拠のある言葉を選ぶべきです。
『木』について「神々しい」的表現が許せるのは、百歩譲って銘木のような嗜好品的内装材までです。構造材は汎用品として流通しているように工業製品と同じように考えるべきです。

しかし木材は嗜好品と汎用品の曖昧な境界の上にあることも事実です。
その使用目的に応じて使い分ける必要があります。
また、『木』は個体差が大きく科学で解明されていないこともたくさんあります。我々、業として木材を扱う者が木材のトラブルに対面したときに「木は生きていますから・・・」と口にして逃げてしまってはならないと考えます。科学的論拠に基づいてトラブルの原因を追究するのがプロですから・・・。

木材について『好み』が最優先されトラブルも許される市場は小さい。
科学的に説明する事を放棄しスピリチュアルな価値に頼ることは、市場や社会からの信頼を失うことにつながるというものです。
『木』を大切に思うからこそ唯物論的思考で『木』を語る必要もあると思うのです。


コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

jdforest

Author:jdforest
本庄工業株式会社
代表取締役 中川稔之

カレンダー
09 | 2017/10 | 11
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31 - - - -
カテゴリ
最新記事
最新コメント
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。