スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

「ローカリストとして生きる~『誰かのためでなく』」

キッカケは軽い気持ちのボランティア活動でした。
『Jブロック』を納入している宮城県の施設からの要請で、被災地の小学生を対象にした『木工教室』に出かけたのが、一年以上前になります。

一泊二日の行程で出かけたのですが、初日に活動を行なった名取市と仙台市では仮設住宅や津波の被害にあったままの建物、屋根にブルーシートが掛けられたままの住宅が存在するものの、非被災地と一見変わらない日常生活が取り戻されているように思いました。
ところが二日目に訪れた女川町は全く違ったのです。
石巻の内陸部を通って女川町に向かったのですが、女川町の旧市街地に入る手前の峠を上りきって、下り坂にかかった途端、言葉をなくしました。
街がないのです。
戦争で爆撃にあったかのように建物がなくなり壊れた街が広がる光景に、凍りつきました。
車のスピードが自然と落ち、周りを見ると坂の途中のあたりから風景が変わっていくことに気がつきました。
ある地点の高さまで津波が到達し建物、街を流してしまったことに。
車を進めると、道路が堆く積み上げられた瓦礫の壁で囲まれたところもあります。
コテンと横たわった状態の3階建てか、4階建てのビルもあり、震災から半年以上が過ぎたとは思えない様子に驚いたのです。
仙台との格差にも愕然と・・・。

とても木工教室などできないと、私の中の気弱な虫が尻込みをし始めました。
開催予定の小学校は高台にあったのですが、すぐ隣の総合運動公園内には仮設住宅が並んでいます。
小学校の教頭先生に、「木工教室をやって良いものか戸惑っている。」と正直に話すと、笑顔で「大丈夫ですよ。子ども達は楽しみにしています。」との言葉が返ってきたものの・・・。
授業が終わって、スクールバスの出発までの時間が木工教室に割り当てられていました。
それまでの間、会場にあてがわれた図書室を兼用した教室で待っていたのですが、何気なく手に取った写真集。
正確な題名は記憶していませんが、「女川今昔写真集?」。
昭和30、40年代の漁業で繁栄した街の様子と最近(震災前)の街の様子を写した写真が並べられています。
今、車で通ってきたところに、かつては存在した風景です。
写真を見ているうちに涙は零れるし、逃げ出したくもなりましたが、逃げ出すだけの勇気もなく・・・。

やがて子ども達が表れると、あっという間に「何を作るの?」との歓声と笑顔で私達は囲まれたのです。
救われました。子ども達の笑顔に。
安易な気持ちでやってきたことを恥じ入り、怖気づいていた私を子ども達が救ってくれたのです。
私は、勇気を『もらった』のです。

ボランティア活動は誰かのための『施し』ではなく、その地域で生きる者としての活動・行動、それ自体であるのだと考えるようになりました。
ボランティア活動・地域活動は双方向性のあるものだと。

小学生に勇気をもらい救われたことで、女川は私にとって特別な場所になりました。
女川で学んだこと、もらった勇気を、まずは岐阜の地で発揮することだと考えるようになったのです。

コメントの投稿

非公開コメント

プロフィール

jdforest

Author:jdforest
本庄工業株式会社
代表取締役 中川稔之

カレンダー
06 | 2017/07 | 08
- - - - - - 1
2 3 4 5 6 7 8
9 10 11 12 13 14 15
16 17 18 19 20 21 22
23 24 25 26 27 28 29
30 31 - - - - -
カテゴリ
最新記事
最新コメント
カウンター
検索フォーム
RSSリンクの表示
リンク
QRコード
QR
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。