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ALCの街・岐阜

名古屋の建築屋で現場監督を経験した後に本庄工業に入社しました。
名古屋でビル(と言っても6階建てまでですが)の仕事を手掛けた時には、岐阜・本庄工業は材木屋をルーツに持つので、同じような規模の仕事は無いだろうと思っていましたが、間違いでした。
本庄工業は材木屋ですが、創業以来お取引のある法人企業様の工場・ビルなどを相当数手がけてきました。

建築現場について名古屋と岐阜と比べた場合、いくつかの相違点があるのは当然です。
職人、作業員の気質や、現場の雰囲気についての違いがあることは予想できます。
また大工や左官などの歴史ある職種の技量についても岐阜の方がレベルが高いだろうということも。
現場のマナーや安全についての意識は、都会の方が優っていましたが。
驚いたのは、ALCの施工レベルの高さです。

ALCとは、軽量発泡コンクリートで主にビルや工場で使われます。
ALCの代名詞でもある『旭化成のへーベル』のALCを説明するページを見てください。
旭化成のページ
名古屋の会社で現場監督をしていた時に、何度か外壁にALCを採用したのですが、なかなか目地がキレイに揃いませんし、ALC版自体の反りやむくりで壁が真っ平らに見えないことがあり、仕上がりに不満を持っていたものです。
ALC業者に言わせると、ALC版自体の精度にばらつきがあるのだから仕方がないと。
ですからALCに良い印象を持っていなかったのです。

ところが岐阜・本庄工業でALCを採用した建物を手掛けると、ALC壁の仕上がりがキレイなのです。
次の現場、別の現場でもALCの仕上がりに不満を持つことはありませんでした。
そこで、『岐阜はALCの施工レベルが高い』と思うに至ったのです。

先日、柳ケ瀬へ店舗改修工事に出向いた時のこと。
ビルが無くなり歯抜けになった土地の駐車場に面して、ALCの壁がいくつも見られます。
ALCの施工レベルが高いのは、ニーズも多く、悪い施工条件の中で磨かれたものかもと考えた次第です。

ALCは優れた外壁材です。
耐火性能も高く、断熱性能もたかいので居住空間の安全性と快適性を担保します。
ただ、防水性はALC自体にはないので塗膜によります。
塗膜は摩耗もしますし、塗膜自体が経年劣化します。
塗膜の防水性能が切れたら水が浸入するのは道理です。

かつて住み心地が良い街、豊かな街と言われた岐阜市は、ALCの外壁に包まれた街のようだと思うに至ったのです。
柳ケ瀬のALCの壁を見ながら、様々な思いが駆け巡ったのでした。



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『みんなの家』を見てきました

お盆休みの最終日17日に8月11日のブログにも記した『みんなの家』を訪ねる弾丸ツアーを決行しました。

早朝5時台に名鉄岐阜を出るミュー・スカイに乗りこみ、セントレアから仙台空港まで飛び、その先はレンタカー。
仙台を訪問する時には新幹線でなく飛行機を選ぶようにしています。
レンタカーで仙台空港周辺をまわりたいからです。
今なお残る津波の爪痕、新たな街の息吹を見つけ、気がついたことや疑問点を当地の人に尋ねる形で自分なりに検証したいと思うからです。
それが何かを生み出すなどと大そうなことをいうつもりも、研究対象だなどというものではありません。
地域のことを考えるにすぎない行為です。

『みんなの家』は、岐阜市の新図書館・メディアコスモスの設計者・伊東豊雄が音頭を取る、日本を代表する建築家による被災地での復興支援活動です。
その活動については賛否両論ありますし、私も疑問を持っていた一人です。
現物を見ることなく意見するものではないとの思いと、「見たい」という衝動から弾丸ツアーを決行した次第です。

東松島に建設された妹島和世の『みんなの家』は景勝地・松島の近くの半島の先端にありました。
リアス式海岸にそってクネクネと海岸線をたどる道路は奥松島と呼ばれる観光地だけあって松島をワイルド(原生林のよう)にした景観九十九折りに重なります。
その最果て東松島市月島海岸の砂浜に面してある、妹島和世の『みんなの家』を訪問したのです。

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『みんなの家』は海に面してポツンと。
傍らには海の家のようなコンテナがありますが・・・。
スチールの骨組みは五年もしたら塩害で錆だらけになるかもしれないし、充分な雨よけ・日よけの機能を果たしているとは言えない屋根の形状。丸見えの事務所スペース・・・など突っ込みどころ満載です。
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この場所に『みんなの家』が存在することに価値があると考えるに至りました。
『建築家のエゴ』、『上から目線の・・・復興支援』などの批判意見が出ることは織り込み済みでの活動でしょう。
議論が起こることにも価値があると。
また、彼らに『力』があるからスポンサードする企業や個人が現れるのだとも。
何もない月浜海岸に『みんなの家』が存在するのではなく、かつては確かに営みが存在した場所に『みんなの家』が存在し、今なお人の営みもあることを教えてくれます。

伊東豊雄の『力』には恐れ入りました。






恒例の花火

製材工場を郡上に移して以来、毎年郡上夢花火の広告協賛をさせていただいています。
今年も例年通りの金額を協賛したので、パンフレットが届けられました。

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手に取って、一目で分かったのは広告の量が多いこと。
確実に郡上の景気も上向いています。
郡上は潜在的失業者が多い地域ですから、企業にとって求人が容易であると思われがちです。
しかし、以前なら求人広告を出せば、すぐに何らかのレスポンスがあり、何人かの面接を行うことがでたものが、最近は問い合わせすらないことがあるとの話を聞きます。
求人広告、花火の協賛広告にも、郡上の景気も上向いていることが如実に表れています。

郡上夢花火の打ち上げ本数と花火の大きさは広告量に比例します。
弊社は『4号二発』です。
今年は天気の心配もなく開催されそうですから、多くの人出で賑わいも最高になことを期待しています。

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岐阜から被災地を視る

被災地である女川・石巻を定点観測しています。
女川・石巻を定期的に訪問しているのは、彼の地が私にとって手鏡だからだと、以前にもこのブログで記しました。
また石巻日日新聞を定期購読していますが、それは近江社長を招いた講演会を開催した際に、快く来岐していただいたからだけではなく、石巻の人々の生活の現状をしることで、私の中で震災を風化させないためでもあります。

女川・石巻を注視していて、被災地で起こる問題は被災地だけの問題ではないと分かります。
最近の石巻日日新聞の記事で印象に残ったのは、小中学校の統廃合についての記事です。
被災地では人口の流失が止まらず、震災前と同じ規模の学校を維持できない統廃合待ったなしの現状があります。
それは震災によって明らかになったに過ぎず、震災の有無にかかわらず近い将来には起こっていたであろうことなのです。
震災によって現実を直視せざるを得ない状況を目の当たりにし、市民の危機感を醸成するとともに行政側の実行力を問うこととなりました。
円滑な統廃合を推進したのは当事者の問題意識であり、真摯な熟議と丁寧な説明対応だと。

小中学校の統廃合は、岐阜でも待ったなしの状況であり、現在の統廃合による再編が最終形とも思われません。
10年、15年後には、再度の統廃合の必要が発生するでしょう。
好むと好まざるにかかわらず、あるべき方向性を公共的視野から丁寧に語り、実行するのは『係・担当者』ではなく責任ある立場の人のみができることです。

そして『みんなの家』についての記事。
日本を代表する建築家たちがボランティアよろしく被災地に建設したコミュニテイハウス。
これについては後日詳細に書きたいと思います。
建築家にとっての公共性が高い建物を設計することの意味についてです。

被災地の問題を見ることは、岐阜を手鏡に映すことだと考えます。

『お葬式』

伊丹十三の映画ではありません。
友人の父親が亡くなり、葬儀に参列してきました。

高校の野球部で出会った友人。
正しくは一級下の後輩なのですが、今では親しい友人の一人です。
高校生の頃は、厳しい縦社会の野球部でしたから私も大威張りでしたが、齢40も越えれば対等です。

彼が入学して間もない下級生の彼に『罰走』を命じた時のこと。
グランド一周を90秒で走ってきた彼に
「一周90秒で走れるなら3分で何周走れる?」と問うと、
「はい!2周と少しです。」と・・・・。
期待していたものと違う答えに目が点になり次の言葉が見つからず
「とにかく走れ!」と命じたことを覚えています。
私の意図は「『3分で2周走ります。』との答えに『じゃあ20周を30分で走れ』」というものだったのですが・・・・。
後に「2周と少し」の真意を聞くと
「2周って返事すると怒られると思ったから努力分の『少し』って言ったんですよ~。」と。

大きな体の彼も葬儀の場では小さくなっていました。
遺影の写真を見ると様々な思いが去来したのです。
高校生の頃、初めて見かけた面影のまま若く輝く写真の顔に。
今の我々と同じような年齢の時のまま。
高校生の頃憧れた『カッコ良い岐阜の大人』です。

みんな、エネルギッシュで脂ぎっていて明るく笑う姿に憧れたものです。
大学進学で岐阜を離れ別の土地で働いた後も、いつか岐阜でとの思いを私が抱いたのは、憧れの大人の姿があったからでしょう。
改めて遺影に手を合わせました。
プロフィール

jdforest

Author:jdforest
本庄工業株式会社
代表取締役 中川稔之

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